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2009年10月 5日 (月)

どうしてJALはだめになったのか その2

さて、前回私は「日本の航空行政の過ち」という言葉を持ち出しました。航空行政の専門家でもないのに随分高飛車な発言と思われるかもしれませんが、事態の経緯を冷静に見守っていたことを順番にお話しすれば、実は誰もが気づくことなのです。

1980年代、日本でも「コミューター航空」(Commuter airline)が話題となりました。これは、それまでのように東京(羽田)、名古屋(小牧)、大阪(伊丹)、福岡、札幌(千歳)といった大都市圏だけを中心とした航空行政を見直し、日本各地に250〜300の小規模な空港を造り、その間を小型機をバスのように飛ばして活性化しようというプランでした。これによって、新幹線や高速道路など重厚長大の公共事業を誘致しなくても、地域の交通課題を解決できるという画期的なプランでした。
 もちろん、各地で大型機が飛ぶような大空港を造るには莫大な予算がかかるため、小型機向けの1000〜1500メートルの滑走路を設けることが前提でした。500〜600メートルで離着陸でき、50人から100人前後の人員輸送を目指す短距離離着陸機「飛鳥(あすか)」の開発も国策として進められました。

しかし、そうした構想は、各自治体の「ウチの空港は海外に行ける物でなければならない」といったエゴによって変えられて行きました。新広島空港をはじめとし、静岡空港など各地の地方空港は、のきなみ大型機が離着陸できる規格のものに変えられてしまいました。各地の山は削られて大変な環境破壊が進みました。こうした大型公共事業に一カ所1000億円規模の税金が投じられたのです。まさに無駄な公共事業の典型でした。

もし、30年前のこの構想が、当初の通り実現していれば、大型バス程度の旅客機が、各空港を1時間〜2時間おきくらいに飛んでいたでしょう。そうすれば、大型機が一日に数便しか飛ばない空港よりどれ程便利だったかしれません。それに、大型ジェット機は飛ぶ高度が高いため、高度を上げて下げるのにとても時間がかかります。短距離であれば、プロペラ機で30〜40分で飛べるところを、1時間かけて飛ばなければなりません。このように先を考えない無駄な投資が行われ、そこに導入されたのが、「ナショナルフラッグ」JALだったのです。JALの問題は、実は政治の問題でもあったわけです。

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