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2010年8月 5日 (木)

劣悪な若者たちの就労状況を問う

若者の就労についての現状を知ろうと、NPO法人楠の木学園(港北区小机)の武藤啓司理事長にインタビューさせて頂きました。
                     
大野:若者たちの現状、特に就労への視点を踏まえてお聞きしたいと思います。先日、区内のある女子高校を定年で退任された先生とお話する機会がありました。「高校を卒業しても、長く安心して勤められる仕事は皆無になってしまった。大きな企業でなくてもいいから、少しでも安心して働ける環境を何とか作って欲しい」と切実に訴えておられました。

武藤:まったくその通りの状況だと思います。高卒女子では、専門課程以外では行き先がまったくない状況です。今は大卒でも正規雇用に就くのが難しい状況ですから。そんな中で就労意欲や自信を失っている若者も増えています。若者だけでなく、たいがいの人は「社会が自分を必要としていない」と自信を失っているのではないでしょうか。例えば一流企業に勤めていて人でも、一旦仕事を離れて新しい仕事を見つけようとした時、自分の希望とのあまりにも大きな落差に失望してひきこもりになってしまった例もあります。
学校を出たとたん、そこは砂漠だったというような、社会の中で無力感や孤独感みたいなものに捉えられてしまうのではないでしょうか。

大野:先生は引きこもりや不登校などといった課題に長く取り組んでおられますが、そのお立場から現在の状況をどうご覧になりますか。

武藤:引きこもりや不登校は、だれがなっても不思議ではない状況です。ですから社会の基礎から作り直して行くことが必要ということです。誰をどこに進学や就職させるかという取組だけではなく、コミュニティを再形成するかという視点、あるいは小さい頃から人間関係の枠組みを育てるかというところからやって行かないと、この日本という社会は消滅してしまうのではないかと感じる程です。

大野:つまり、引きこもりや不登校は個人の問題というより、私たちの社会自体が抱えている課題だと言うことですね。

武藤:その通りです。少子化で、結婚しない人、子どもをつくらない(れない)人も増えていますね。そういう人の孤独死の増加が予測されます。100歳を越えた長寿者のかなりが実は行方不明だと報じられています。ぎゃくたいによる子どもの死亡もひっきりなしに報じられています。人と人のつながりを失った「無縁社会」が広がっています。若者の就労なども実はそういうことと同じ現実に根差しています。結婚しない、働けない若者でも、それなりにしあわせに生きていける社会をどう作れるかという視点が必要とされてきているのです。

大野:最近よくある議論で「最近の若者は甘えている。自分たちはもっと厳しい世界で生きて来たのに」とか、団塊世代の皆さんが「自分たちが甘やかしたから」という意見をよく聞きます。そうした意見についてはどう思われますか?

武藤:親御さん個々人の育て方以上に、社会が変わってしまったのです。今や核家族、少子化で、かつてのような大勢の兄弟や家族の中で自然に生まれるトラブルや助け合いもなく、親が先回りする過保護、過干渉の社会になってしまっているのです。地域社会にしても、核家族化、団地住まいなどで、本来地域が持っていた支え合いや自然の中で遊びまわれる機会もなくなってしまったのです。そうして育った子どもたちが、今大人になっている訳です。

大野:豊かになったようで、実は人間が育つために必要な一番大切な基盤が欠けてしまったと言うことでしょうか。

武藤:かつては自然に身につけられていたものが、高度経済成長期以来、子どもたちから奪われてしまってきているということです。進学先、就労先で多くの若者が社会性、人間性につまずくようになった。仕事の量が圧倒的に多くなったこともありますが、そこを生き抜く力を養う社会環境が失われてしまっているのです。ひたすら学力だけつけても役には立たない。社会に出て必要な、生命力、生活力やたくましさを育てる環境が奪われてしまったのです。

大野:もう少し具体的に言うとどんな環境ですか。

武藤:子どもから三間(仲間、時間、空間)が奪われてしまったと言われて久しいです。いっしょに過ごす仲間、子どもだけでいられる時間、大人から干渉されることなく子どもだけでいられる遊び場、隠れ家、居場所。そういったかつては子どもにとって不可欠ともいえるものがなくなってしまったのです。子どもたちは、本来すごいエネルギーを持っている。それを発揮できる場がなくて、抑圧されてしまっている。ポケットゲーム機よりももっと面白く、自然と触れたりして楽しめる仕掛けが必要だと思います。

大野:例えばプレイパークのような仕掛けでしょうか。

武藤:そう思います。人が育つということは、簡単にここで述べると誤解される恐れもあるのですが、知的、精神的な成長というものも、身体的な運動機能の発達の上に始めて可能になるということです。人格の発達、運動機能の分化や発達、そして運動にともなっての感覚の広がりや発達……といった運動と感覚の相互作用、循環というような繰り返し、積み上げによって、脳も成長し発達していくという関係にあるのだといわれています。こうした身体と精神との相互関係については自閉症研究などいっそう細かく深められてきていると思います。身体のバランスや皮膚感覚などが豊かに育てられることで、自分というもの、痛みというものを知ることができ、それが他者の思いを理解する基礎になっていくのだと思います。そういうものを育てる上でも、プレーパークのような場とそれを利用する機会が増えていく必要があるのではないかと思います。
 今の若者は、忍耐力がないとか、やる気が見えないとかそういうことですが、その裏に豊かな育ちを保障されない環境そのものに目を向けなくてはいけないのだと思います。

大野:発達障害の若者が急増している背景にはそういったことがあったのですね。

武藤:今の育ちでは、いろいろな体験の欠落があります。発達障害はその典型的な例と言えます。かつては、多少の偏りや風変わりな性格の人がいても、「あの人は変人だから」とか、「あの人は職人気質で付き合いにくい」とかいわれながらも、社会に許容されていたのですが、最近では少しでも規格にあわない人は目を付けられ、特別扱いされたり、排除されるという時代になってしまったということでもあると思います。とにかく何らかの原因で社会に適応できなくなった若者が、自立していく上で埋めていかなければならないものは、人間関係であれ、資格の取得であれ時間の必要なものばかりです。その時間をどう保障できるかが大きな課題です。そのための取り組みとして、パーソナルサポーター制度というものも始まろうとしています。

従来は、若者たちが(1)ユースプラザなどでサポートを受けた後、(2)サポートステーションで就労体験などを行い(3)就職することで支援のサイクルは終わっていました。
それに対し、仕事に就いた後も、その仕事が上手く行っているのか、もし継続できないとすればどこに課題があったのなどを当事者と一緒に考えて行くものです。
 
大野:若者への支援活動を続けていく上で障害になっているものは何でしょうか。

武藤:まずは私たちの運営している保土ヶ谷のユースプラザなどへ若者が通い続けられるような支援が求められます。ひきこもりで収入のない彼らが、交通費をかけてハローワークやプラザに通う際の交通費の支援などは今は支援の体制はありません。また、こういったサポートの場を運営委する人も、それなりに優秀な人材である必要があるのですが、そうした人材を雇うための資金もありません。こうした事業を発展させ継続して行くためには、きちんとした雇用を確保し、人材を育成して行かなければなりません。「夢の20万」という言葉があるように、現状では公務員の二倍働いても月に10万とか15万という給料でやって行くしかない。もちろん賞与もないのです。
 政治の世界でも「新しい公共」と言う言葉が使われ始めましたが、もし本当にそうしたものを育てるつもりがあるなら、地域行政もNPOを雇用の場としてもっと積極的に育てて行くことです。それは投入した費用の何倍も地域に貢献することができるのですから。

大野:武藤先生のおかげで、随分課題が見えてきた気がします。今日はどうもありがとうございました。

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