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2011年3月13日 (日)

震災で広がった「港北」での助けいあいの環

今回の地震で私が直接経験したり、伺ったお話をいくつかお伝えしたいと思います。

私は今回の地震が起きた時、数分後には宮城で震度7の情報を知り、マイクで地域の皆さんにお伝えすることができました。それは、駅前で行商をされていたご夫婦がトランジスタラジオをお持ちだったからです。何が起きたかわからない時、こうした情報源は本当に貴重だと思いました。

駅前には少数ですが公衆電話が残っており、携帯電話がつながらない中で貴重な存在となっていました。これも商店街の方が「何かあった時にために」と残しておいて下さったものだと思います。

綱島では停電で信号機が止まる中、市民の方が自主的に交差点に立って手信号で自動車や歩行者の誘導をされておられました。

市営バスが来ない中(他のバスが動く中、市営バスだけ対応が遅れたと市民の皆さまからご指摘を頂いています)個人の方が携帯用カイロをたくさん購入され、寒い中立ちっぱなしの方々に配っておられたそうです。

私の住んでいる大曽根地区では、古くからの地主さんが一人暮らしの高齢者の方々の安否確認をしておられました。

高齢者の方などへの移動サービスをされているある男性は、高層マンションで、高齢者の方を一人で背負って24階まで登られたそうです。この方は登山が趣味で、普段から重い荷物を背負って登山をされていた経験が生きたということでしたが、信じられない程の重労働だったに違いありません。

こうした市民の皆さんの助け合いが、いざという時の底力になることをあらためて実感しています。

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